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zoom RSS 豊岡に帰りました

<<   作成日時 : 2013/08/25 02:31   >>

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 今回豊岡に帰ってきました。素晴らしいですね。ホームタウンがこれほど素晴らしいとは思いませんでした。




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 新たにわかったことですが、植村直己氏のホームタウンが上郷だったとは知りませんでした。日高町なのですが私は神鍋の方に故郷があると思ってましたが、思い違いでした。

 実は私の姉がこの上郷に嫁いで行ったので、墓参りも行かせてもらった時に私の姉の旦那さんにお話を聞かせてもらいました。そしらたここの町の出身だということを知ったのですね。驚きました。




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 それからの近くにある神社に行きました。それは気多神社です。非常に古い神社でしたが昔の時代を思い起こして、当時に生きていた人々の霊を思いながら見てまいりました。



気多神社由緒碑>より

鎮座:兵庫県城崎郡日高町上郷227

太古山陰地方は「大国主神」の支配地で、命は但馬や播磨では「葦原志許乎命」と称されていた。
新羅国の王子「天日槍(あめのひぼこ)」が山陰海岸に渡来し、「葦原志許乎命」と支配地の争いになったが、和解の結果、志爾山頂から両者3本ずつの矢を射て支配地を決めることとなった。

天日槍の放った矢は全て「但馬」に落ち、葦原志許乎命の放った矢は一本が養父郡に落ち、一本は気多郡に落ちた。

そこで天日槍は但馬の出石を居住地に定め、葦原志許乎命は新たに建立された「養父神社」と「気多神社」に「大己貴命(おおむなちのみこと)」の神名で祭祀された。(播磨風土記)
国司文書によれば気多神社は神武天皇九年(前651)に気立(気多)の丘に創建されたと記されている。

大化の改新後は国府地区に但馬国府が設立され、気多神社は「総社」として崇敬を受けた。中世以降は頼光寺に一郡一社の「惣社大明神」として鎮守し、当時の社殿は、檜皮葺三社造りで、本殿は四間四面欄干造り、拝殿、阿弥陀堂、鐘楼、朱塗り山門等伽藍の整った大社だったが、豊臣秀吉の但馬侵攻によって灰燼に帰した。





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