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zoom RSS 古代王国論(但馬、丹波、丹後)

<<   作成日時 : 2011/05/03 09:22   >>

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1.籠神社の存在。当時の日本の歴史を示す神社として、中国の前漢・後漢時代のものが伝わる元伊勢神社(京都府宮津市)がある。神社の名前は「元伊勢籠(コノ)神社」と言うが、「籠」という字を「かご」ではなく「この」と読む。カゴメの名前にふさわしく、この神社の奥宮である「真名井(マナイ)神社」の碑に刻印されている社紋が、まさにイスラエルの六亡星そのものであることは有名な話。

 籠神社に伝わる2種類の鏡(邊津鏡と息津鏡)のうち、邊津鏡が前漢時代のもの、息津鏡が後漢時代のものであること、つまりイエスキリスト誕生時の前後に渡っているということに関心がある。


2.籠神社の社伝によれば、元々真名井原の地(現在の境外摂社・奥宮真名井神社)に豊受大神が鎮座し、匏宮(よさのみや、与佐宮とも)と称されていた。『神道五部書』の一つの「豊受大神御鎮座本紀」によれば、崇神天皇の時代、天照大神が大和笠縫邑から与佐宮に移り、豊受大神から御饌物を受けていた。4年後、天照大神は伊勢へ移り、後に豊受大神も伊勢神宮へ移った。これによって、当社を「元伊勢」という。丹後半島から移動された。


3.天日矛の伝説。新羅からやってきた王子、アメノヒボコ(天之日矛、天日槍)はスサノオ(素戔男尊)やオオクニヌシノミコト(大国主神)は同一人物、脱解王もしくはその一族(すなわち日本人)で、金属の精錬や製鉄技術をもっており、日本に戻ってきた理由は、朝鮮半島での当時の火力は木を燃やして得るしかなかったので、森林伐採が過ぎて燃料不足に陥り、森林豊かでかつ火山活動が活発な日本に、製鉄拠点を移したかも。


4.兵主神の多い但馬国は、出雲や若狭同様に太古から朝鮮半島との接触が深い国である。兵主神は秦氏によって日本に持ち込まれたともいわれ、山東半島の近くの琅邪(ろうや)に八神が祀られているといわれる。八神とは、天主(天の神)、地主(地の神)、兵主(武器の神)、陰主(陰を知る神)、陽主(陽を知る神)、月主(月の神)、日主(太陽の神)、四時主(四季の神)である。


5.シルク温泉(シルクおんせん)は、兵庫県豊岡市但東町(旧国但馬国)にある温泉。シルクロードの終点の意味合いか、あるいは絹織物からの連想かで、シルクと付けられた模様。モンゴルの八角形の建物を模して温泉館は作られている。


6.丹後ちりめんは神代からの巨大絹生産地だった可能性は極めて高い。またこの日本海に面した港を持つこの地は朝鮮半島を経由して古代中国ともっとも交通の便のよかった地で倭文(和絹)を求めてやってきた多くのユダヤ人商人がその莫大な財力と情報量を武器に倭国(邪馬台国)の中枢に取り入り深い関係を持っただろうことは容易に想像できる。


7.瓢公と脱解(だっかい)という新羅の第四代の王。瓢公は未だ其の族姓を詳らかにせず。本、倭人にして、初め瓢を以て腰に繋け、海を渡りて来る。故に瓢公と称す。それだけはでない。脱解(だっかい)という新羅の第四代の王(在位57―80年)について、もっと不思議なことを語る。

” 脱解は本、多婆波国の所生なり。其の国、倭国の東北一千里に在り ”

この新羅の王は丹波国で生まれたというのである。歴史家の説によれば、多婆波国(たばなこく)は丹波に比定して、まず違いはないという。ホンマかいな!丹波、今の京都府の日本海側はたしかに、大陸との交流の痕跡はある。


8.モンゴル民族博物館がどうしてここに? 豊岡市但東町はかつて織物の町として「ちりめん」を京都の西陣などに下ろしていた関係で、国内のシルクロードとして町おこしを始めました。この活動を視察するため、大学の先生やモンゴルからも来られるようになり、やがてモンゴルと地元の子供たちとの交流に変わっていきました。

 
9.鉄の技術。日本に伝播してきたのは青銅の技術と製鉄の技術がどちらもである。近畿地方の但馬で粉々になった青銅器が発見されたが、不思議な出来事であった。私は青銅の技術を止めて製鉄技術に帰るために行った、粉々にして見せたかもしれない。製鉄の強さを示す為に行ったしか考えられない。人為的に行われたと思う


10.コウノトリ。「ツルの恩返し」という昔話。これも、主人公はツルではなくコウノトリだったのではないかという説がある。ツルとコウノトリが昔から間違えられやすかった一つの例と言える。

 また山陰地方の「城崎温泉」にある「鴻の湯」は、城崎温泉発祥の湯と言われ、幸せを招く湯と呼ばれて訪れる人が絶えない。ここには1400年もの昔、コウノトリが足の傷を癒したという伝説があり、コウノトリが発見した温泉場として有名な場所である。

 平安時代の「土佐日記」という有名な歌集には、「松の上に住むツルはおめでたい」といった内容の歌がおさめられている。しかしツルは湿原などで暮らす鳥なので、松の上に住むということはない。


11.天日矛の系列

 アメノヒボコ(天之日矛、天日槍)は、『古事記』、『日本書紀』に見える新羅の王子。『播磨国風土記』には神として登場する。

 垂仁天皇3年春3月に昔に新羅王子・アメノヒボコが神宝、羽太の玉、足高の玉、赤石、刀、矛、鏡、熊の神籬の7種を持参した事への言及があり、その渡来の記述がある。天日矛は出石神社(兵庫県豊岡市)に祀られている。

 田道間守は、垂仁天皇99年7月14日)は第11代の天皇、同90年2月、田道間守に命じて、常世国の非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)を求めさせる。

 タヂマモリは、日本の古墳時代の人物。菓子の神としても崇敬される。『古事記』では多遅麻毛理、『日本書紀』では田道間守と表記される。

 タヂマモリは、菓子の神として中嶋神社(兵庫県豊岡市)に祀られている。

 神功皇后は、神功皇后(じんぐうこうごう、成務40年(170年) - 神功69年4月17日(269年6月3日))は、仲哀天皇の皇后。父は開化天皇玄孫・息長宿禰王(おきながのすくねのみこ)で、母は天日矛裔・葛城高顙媛(かずらきのたかぬかひめ)


12.但馬牛のいる但馬地方は日本海に注ぐ円山川の本流沿い、緑色の農地が広がっている。昼間と朝夕の気温差が大きいことから夜露でやわらかい草が多く、この山と豊富な草、きれいな水という風土の恵みで資質の優れた但馬牛ができる。松阪牛をはじめとして 神戸牛 近江牛 宮崎牛 前沢牛 飛騨牛 佐賀牛 鹿児島牛 など日本の和牛の85%以上が但馬牛の系統だそうだ。但馬牛の起源が渡来人アメノヒボコと関係がある。

 

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